椎名林檎「カーネーション」の分析

先日より始めたポップ・アナリーゼの試みですが、今回は椎名林檎さんの「カーネーション」を取り上げてみたいと思います。昨年末の紅白歌合戦で拝見したときから、なんか変わってるけどいいウタだなァ、と気になっていたのでした。ちなみにポップ・アナリーゼとは「ポピュラーミュージックの技術論や構成テクニックに目を向けて、分析的に鑑賞する*1」営みを指しています。浅学ではありますが、できる範囲で魅力的な楽曲のナゾを解き明かしていきたいと思います。(なお、アナリーゼで使用する知識はほぼ下記の書に負うております。また、和音の根拠は楽器.meさんを参考にさせて頂きました)

憂鬱と官能を教えた学校

憂鬱と官能を教えた学校

◇概要

・表A

ルート=Dのダイアトニック統合表
メジャーDM7Em7G♭m7GM7A7Bm7D♭m7(-5)
ナチュラルマイナーDm7Em7(-5)FM7Gm7Am7BbM7C7
ハーモニックマイナーDmM7Em7(-5)FM7(+5)GmM7A7B♭m7Ddim7
ロディックマイナーDmM7Em7FM7(+5)G7A7Bm7(-5)D♭m7(-5)
・表B
キー=E♭のダイアトニック・コード
メジャーE♭M7Fm7Gm7A♭M7B♭7Cm7Dm7(-5)



◇intro

Bm7 Em7 A7 | DM7 GM7 D♭m7-5 | G♭m7 Bm7 Em7 | A7 DM7 GM7
6-2-5 1-4-7 3-6-2 5-1-4 (T-SD-D T-SD-D T-T-SD D-T-SD)
Em7 | G/A
2-4/5 (SD-SD/D)

弦楽器がわずか6小節のなかを三拍子で刻んでいく印象的なイントロです。1小節目のBm7から4小節目のGM7まで、それぞれのルートが4度上昇(=強進行)しています。ひとたび聴けば耳に残るような強烈な進行感です。この楽曲は、NHK連続テレビ小説カーネーション」の主題歌として書き下ろされたそうです*2。「コシノ三姉妹をファッションデザイナーへと育て上げた母、小篠綾子氏をモデルとしたヒロインの波乱万丈な生涯を描く」という物語のようですが*3、このイントロの和音進行には、なりふり構わず突き進んでいくようなヒロインの力強い人生が象徴されているように思います。二行目も、Em7からG/A、そしてAメロのDM7(9)へと続く強進行(ツー・ファイヴ・ワン)になっており、また、3拍子ずつ和音が伸ばされることでゆったりとした雰囲気を持ち、いよいよドラマの幕開けを感じさせます。

◇Aメロ

DM7(9) G♭m7 GM7(♭5) DM7(9) Bm7(9) E7(9)
1-3-4-1-6-(5)(T-T-SD-T-T-(D))
小さく丸めた躯は今
G/A B♭dim Bm7 GM7(9) Em7
4/5-dim-6-4-2(SD/D(T)-dim-T-SD-SD)
かなしみ隠し震えて
G♭7(♭9) Bm7 GM7(9) A7(9) D
(5)-6-4-5-1(D-T-SD-D-T)
命を表しているのね

ところで、この楽曲を分析するに当たってwebで情報を集めていたところ、以下のような話題を目にしました。
椎名林檎の「カーネーション」は、朝のドラマの主題歌にしては「暗く」「憂鬱な感じ」で「違和感」を感じる*4、というのです。たしかに、爽やかな朝というよりは、夜をイメージしてしまう人がいても不思議ではないと思います(上記にもリンクしているミュージックビデオはまさに「夜」を舞台にしています)。山下柚実氏は、このような意見が出る根拠として、椎名林檎の「歌い方」に注目し、「ボーカルは意図的に声を高くかすれさせたり、言葉の音と音の間を切って、息づかいを残し、独特の不安感やざらつきを出している。それが、「わかりにくい」「そぐわない」「しっくりこない」という批判のもとになっているのでは」と考察しています*5。なるほど、ヴォーカルの音の響きという観点から納得のいく説明がされていると思います。しかしながら、当ブログでは、「憂鬱な感じ」がする根拠を、山下氏の指摘する「歌い方」に加えて、テンション転調の要素にも求めたいと思います。

Aメロでは、さっそくそのテンションコードが使われています。テンションとは、聴く人に解決や安定を期待させるような緊張感を持つ音を指します。この音は、手つかずのコードに付き加わることで雰囲気を変化させ、和音を豊かに響かせるフレグランスのような役割を果たします。なんとなくお洒落で大人っぽい響き、というと分かりやすいのかも知れません。冒頭のDM7(9)を例にとると、D、G♭、A、C、Eの構成音のうち、Eがテンションノートとして(9)で示されています。

テンションコードは、西洋の古典的な音楽理論では「不協和音」と見做されてあまり好まれないようですが、アフリカではむしろ「自然な音」として使われていたようです。歴史的には、アフリカにルーツのある黒人たちが、西洋式に調律された楽器をつかって、自分たちのフィーリングの音楽を奏でようと考えだされたのが、テンションコードだともいえるでしょう。無限に広がる音が12つに整理された調律の世界で、敢えて音をぶつけ合うことで作りだされた濁った響き。そんな「黒人っぽい」音が、ジャズやブルースの生命になっていることは言うまでもありません。

いっぽう、ポップスでは、ヴォーカルがテンションノートを取ることが多いと言われています。この楽曲でもヴォーカルがコードの9thの音でうたっている場面があります。例えば、Aメロでは、Bm7(9)の部分、か「らーだはー」の「だ」の音が9thのD♭になっています。このように、「カーネーション」は曲全体にわたってテンションコードが使われているのですが、言い換えれば、断続的に不協和音が鳴っているとも言えます。不協和音に緊張感をもたらす作用があると考えれば、この曲を聴いた人たちが「暗く」「憂鬱な感じ」がして「違和感」があると感じるのも、それほど不思議なことではないと思われます*6

さて、和音の進行をみてみますと、一行目は弱進行をつづけた後、Amのセカンダリー・ドミナントであるE7(9)で小さな気持ちの高まりをむかえます。弱進行とはいえ、GM7(♭5)の部分ではメロディーに不協和音である減5度のD♭がかかるなどして、緊張感がやや増しています。E7(9)からG/Aへルートが強進行してわずかな解決感が出た後、パッシング・ディミニッシュコードにより緩やかでロマンチックに進行します。不安定な雰囲気は、Bm7のセカンダリー・ドミナントG♭7(♭9)で緊張感へと高まり、つづくGM7(9)→A7(9)で再び小さく盛り上がって、Dで解決します。美しいメロディーが不安定にヨロヨロと進行し、最後にようやく落ち着いてホッとするといった感じでしょうか。あるいは、蛇足なうえに野暮なのですが、ドラマにちなんで、このAメロ全体を人生そのものの象徴として解釈してみたい、という欲求を抑えることができません。たとえば、不安定な進行を個人の宿命として、最後のDの音を安らかな死として。

◇間奏

F | G | D | D | Bm7-5 | C | D | D
3-4-1-1-6-7-1-1 (T-SD-T-T-SDm-SDm-T-T)
F | G | D | D | Bm7-5 | C | D | D/C
3-4-1-1-6-7-1-1/7 (T-SD-T-T-SDm-SDm-T-T/SDm)

Aメロが繰り返されたあと、雰囲気がガラっと変わります。とはいっても、転調しているのではなく、同主調から一時的にコードを借りてくるモーダルインターチェンジが起きています。キーはDですから、同じ主音Dを持つ短調ナチュラルマイナー、ハーモニックマイナー、メロディックマイナーのコードがつかわれることになります(表A参照)。Fはナチュラルマイナー、GとDはメジャーで、Bm7-5はメロディックマイナー、Cはナチュラルマイナーからの引用と考えられ、コードが長調短調を小節ごとに行き来していることがわかります。曲全体の役割としてみれば、調性の長短が曖昧な間奏をはさむことによって、つづくサビで起こる転調の印象を緩やかにしているようにも思えます。

◇サビ

B♭M7 Am7 Gm7 FM7
6-5-4-3(SDm-Dm-SDm-Tm)
かじかむ指ひろげて 風に揺れ雨に晒され
Em7-5 Dm F/C B♭m7 A
2-1-3/7-6-5(SDm-Tm-Tm/SDm-SDm-D)
遥か空へ身を預けて・・生きよう・・

ここでDmに転調します。Dmは短調ですから、言うまでもなく、「暗く」「憂鬱な感じ」がもたらされることになります*7。進行をみると、はじめのB♭M7から最後のAまで、ルート音がひとつずつ降りていく格好になっています。すなわち、ラ−ソ−ファ−ミ−レ−ド−シ−ラと1オクターヴ内をAメロのDM7(9)のドミナントであるAまで下りますが、これが地味でありながらも力強い進行感を生んでいます。このように、短調という暗い雰囲気のなかを、和音がグングン前進していくことにより、悲壮感あふれるサビになっていると思います。サビの後は、キーがDに戻り、ふたたびAメロが繰り返されます。

◇間奏→A'メロ

Cm7 | A♭M7 | Fm7 | G7(♭9) |
6-4-2-(5) (T-SD-SD-D)
Cm7 | A♭M7 | Fm7 B♭7 | E♭ |
6-4-2-5-1(T-SD-SD-D-T)

Cm7 A♭M7 Fm7
6-4-2 (T-SD-SD)
欲しいもの等
G7(♭9) Cm7 A♭M7 B♭7 E♭
(5)-6-4-5-1((D)-T-SD-D-T)
唯一つ、唯一つだけ

Fm7 | B♭7 | E♭ |
2-5-1(SD-D-T)

最後の節では、間奏から半音上のE♭に転調しています。曲の終盤での半音上への転調は、高揚感を出すためによく使われる手法のようです。進行はAメロのdim以降とほぼ同じですが、間奏の終わりと曲の終わりでは、Fm7→B♭7→E♭のツー・ファイヴ・ワンが使われ、よりいっそう安定した終止になっています。

以上、椎名林檎の「カーネーション」を分析してみました。ドラマの主題歌として書き下ろされたこともあり、起伏に富んだ物語的な構造になっているなぁと思いました。筆者のガチャ耳で聴くかぎりでは、近年のポピュラーミュージックのなかでも珍しい部類の楽曲かなと思います。いや、もしかしたら、アナリーゼをしていけば、意外とこういう楽曲も多いことがわかったりするのかも知れません。

ご意見ご感想をお待ちしております。

*1:ポピュラーミュージックのイノベーター 菊地成孔さん(慶應MCC「夕学五十講」楽屋blog/2010年11月27日)

*2:椎名林檎『カーネーション』オフィシャルインタビュー (EMI Music Japan)

*3:主題歌は椎名林檎2年半ぶりの新曲、コシノ3姉妹の母がモデルのNHK朝ドラ(Fashionsnap.com/2011年8月19日)

*4:yahooで、朝ドラ「カーネーション」の主題歌(椎名林檎)に違和感持たれる、と載ってました。(Yahoo知恵袋)

*5:朝ドラ『カーネーション』主題歌に違和感持たれる理由を解説(NEWSポストセブン/2011年11月27日)

*6:Yahoo知恵袋では「母性や優しさを感じる」「暗いとは思わず、落ち着いていていい」と言ったものから、「違和感以上に嫌悪感です」「朝から聴きたくないので、いつも消音にします」という最左翼まで意見が噴出していますが、これを、個々人の「不協和音にたいする感性の表出」として眺めても面白いと思います。

*7:この記事は、長調=明るい、短調=暗いといった西洋近代のドグマを前提にして書かれています。しかしながら、筆者は、長調のなかの暗さや短調のなかの明るさを、実感として否定することができない者であります。