『こころは遺伝するーDNAはいかに〈わたし〉を形づくるか』(ロバート・プロミン、2026)

「最初にうまくいかなかったら、もう一度、それからもう一度、やってみるんだ。それでもダメなら、あきらめろ。馬鹿みたいに無駄なことをつづけても仕方がない。」

(“If at first you don't succeed, try, try again. Then quit. No use being a damn fool about it.  / W. C. Fields

くたばる自由に 生きのばす自由

(「生きのばし」/ Theピーズ)

遺伝から自由になれるのか

この本を読んで、遺伝について考えていたら、いつの間にか「決定論と自由意志」の問題に行き着いた。

著者の主張のひとつは、私たちの性格や認知能力、メンタルヘルスなどの個人差には、かなり大きな遺伝的影響があるということだ。もちろんそれは「人間の50%が遺伝で決まっている」という意味ではない。遺伝率とは、ある集団の中で見られる「人と人との違い」を、遺伝的な差異がどの程度説明できるかを示す統計的な概念だ。それでも、この考え方は、人間についての見方を大きく変える。

私たちは、自分のスタート地点を選べない

たとえば、好奇心が強い、運動が好き、人と話すのが好き、一人でいるほうが落ち着く、不安を感じやすい、などの特徴には、生まれ持った遺伝的な違いが関係している。だとすると、「自分が好きなもの」や「自分が得意なこと」さえも、完全に自分の意思で選んだものではないことになる。さらに、私たちは遺伝子だけではなく、家庭も、学校も、幼少期の経験も選んでいない。生まれる場所も、身体も、気質も、最初の環境も、自分では決められない。「ガチャ」ではないが、私たちは気づいた時には既にたくさんの条件を与えられている。その意味では、「自分は完全に自分の力で自分をつくった」とはいえない。

では、自由意志は存在しないのか

ここから、「決定論」という問題が出てくる。もし現在の自分が、遺伝や過去の経験や環境によってつくられているのなら、今この瞬間の「自分の選択」も、結局は過去の原因によって決まっているのではないか。

たとえば、今日筋トレをするかどうかを考えているとする。「筋トレをしたい」と思うのも、過去の経験や価値観の結果かもしれない。「健康になりたい」と思うことも、自分がこれまで生きてきたことの結果だ。では、その「健康になりたいと思った自分」は、誰がつくったのか。さらに遡れば、遺伝や環境に行き着く。そう考えると、「自分で選んでいる」という感覚そのものが、少し奇妙に思えてくる。

それでも、私たちは自分を変えられる

しかし、ここで「だから何をしても無意味だ」と考える必要はない。むしろ逆だと思う。

たとえば、自分が「不安になりやすい人間」だとする。だからといって、「自分は不安になりやすい遺伝子を持っている。だから何もできない」と考える必要はない。「自分は不安を感じやすい。だから、小さなことから少しずつ慣れていこう」と、自分に合った方法を選ぶことができる。ここに、自由のひとつのかたちがあると思う。自由とは、自分がどんな人間なのかを理解し、その自分をつかって、これからの自分を少しずつ変えていくこと、でもあるだろう。

遺伝的な木目に沿って生きる

この本で印象に残ったのが、「遺伝的な木目に沿って生きる」という考え方だ。木材は、木目に逆らって無理に加工するより、木目を見ながら形を作ったほうが自然に加工できる。人間も同じなのかもしれない。自分がひとりで集中するほうが力を発揮できるなら、その環境を探せばいい。人と話すことが好きなら、それを活かせばいい。身体を動かすのが好きなら、運動を生活の中心にしてもいい。苦手なことをすべて克服して、別の人間になろうとする必要はない。もちろん、苦手なことに挑戦することも大切だ。ただ、いつでも「自分を変える」ことだけが正解ではない。自分を理解して、自分に合った場所を探す。それもまた、成長の方法なのだと思う。

自分のせいにしすぎなくていい

うまくできないことがあると、私たちはつい、努力が足りないとか、自分は意志が弱いとか、もっと頑張らなければとか考えてしまう。もちろん努力は大切だ。だが、人間には最初から違いがある。その違いを無視して、すべてを「本人の努力」で説明するのは、少し乱暴なのかもしれない。

これは他人に対しても同じだ。誰かを見て「どうしてこの人はこんなこともできないんだろう」と簡単に判断する前に、「この人は、どんな条件の中で生きてきたのだろう」と考えてみる。遺伝も、環境も、経験も、自分で選んだものではない。そう考えると、他人にも少し寛容になれるはずだ。

でも、仕方ない、で終わらせない

ただし、遺伝や環境の影響を認めることは、「だから何もしなくていい」という意味ではない。むしろ、何かをするための手がかりになる。過去の自分がどうしてそうであったのかは、自分だけの責任ではない。でも、これからどんな環境を選ぶか、どんな習慣をつくるか、何を学ぶかについては、自由に選択できる。

結局、私たちは、自分の遺伝子を選んでいない。家庭も選んでいない。幼少期の経験も選んでいない。だから、現在の自分を完全に「努力の結果」と考える必要はない。

だが、今の自分がこれからの自分に影響を与えることはできる。環境を変え、人間関係を変え、勉強をし、身体を鍛え、習慣を変え、自分に合った場所を探す。そうやって、今の自分が未来の自分の原因になっていく。

遺伝を知ることは、諦めることではない

遺伝という言葉には、どこか冷たい響きがある。生まれつき決まっているとか、努力しても変わらないとか、運命とかいう印象を持ちやすい。でも、本当に必要なのは、遺伝を運命として受け入れることではない。自分にはどんな傾向があるのか、何が得意なのか、何が苦手なのか、どんな環境なら力を発揮しやすいのかを知り、その理解をもとに、自分の人生を少しずつ調整していくこと。その意味で、遺伝を知ることは「自分を諦めるため」ではなく、自分をより正確に理解するためなのだと思う。そしてその考え方は、子育てにも当てはめることができるだろう。

遺伝から自由になれるのか、ふたたび

私たちは、自分のスタート地点を選んでいない。だが、自分の「木目」に沿って環境を選び、ときには木目に逆らってでも、どうしても手に入れたいもののために努力することはできる。その両方を、自分で考えて選んでいく。遺伝や環境によってかたちづくられた自分を理解し、その限られた条件のなかから未来をつくっていくこと。それが自由なんだと思う。

 

 

『森の不思議』(神山恵三、1983)

森を歩くと気持ちが晴れる。草木の香りを全身に浴びながら過ごす時間は、他の何にも代えがたいものだ。しかし、なぜ森なのだろう。なぜ森に惹かれ、なぜ森に行きたくなるのだろう。その不思議な力のひとつの要素と思われるものに、「フィトンチッド」がある。

 

フィトンチッドは、樹木から発散される微細な物質だ。植物は微生物から身を守るために、芳香性の物質を出す。フィトンは植物、チッドは殺す、という意味で、その名の通り、微生物を殺すのだ。森の香りの成分のひとつであるフィトンチッドは、人間に対してもプラスの効果があるようだ。

 

例えば、ヒノキやスギなどに含まれるα−ピネンという芳香物質を嗅ぐと、副交感神経の活動が優位になり、また自律訓練法の効果が上がるとも報告されている。森の香りがリラックス効果を生むことは、実感としてわかりやすい。森林の空気を浴びていると、まるで「森に浸かっている」ような感覚になる。

 

著者は、森林の空気を浴びる「森林浴」には、3つの過程があるという。それは、運動、休養、思索であり、すなわち、森の中で身体を動かして汗をかき、一定の場所で静かに呼吸を整えて休養し、樹木の陰で物思いにふけることを勧める。私にとっては、森を歩いていると自然にそうなっている、という方が近い。身体が自然に整うのだ。

 

オオシラビソの香りが漂う八幡平の森のなかを駆け抜けると、目の先には岩手山が見える。顔から滴り落ちる汗を拭い、ザックから出したピーナッツをかじる。次第に呼吸は整い、夏の日差しに温められた草木の香りが全身を包みこむ。「愛する人よ、人生は快晴だ」。アラゴンの一節が胸をよぎる。

 

人類は、長い進化の過程で森林と深く関わってきたといわれる。だからだろうか。誰もいない森の中にいても、不思議と寂しさを感じない。森は私たちの遠いふるさとなのかもしれない。

『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ナンシー・フレイザー、2023)

濱口竜介監督が、映画『急に具合が悪くなる』を製作する際に参考にしたということで手に取った。映画では、歩きながらの対話やホワイトボードを用いたシーン*1で、資本主義についての議論が展開されていた。それは簡にして要を得ていて、複雑な内容でありながら説明は驚くほど平易だった。

本書では、資本主義を単なる経済システムではなく「制度化された社会秩序」と定義する。人種差別、社会的再生産、環境危機や民主主義の危機は、資本主義のシステムの発展の帰結であり、その乗り越えを、「資本に対する社会の優越」という意味での社会主義にみようとする。

資本主義が悪いというだけではなく、「仕組みがどう変化したのか」という視点でも読め、身近な出来事がそれまでとは違って見えてきた。

「民営化されたケインズ主義」は現代人の心理を変えた

かつてのケインズ主義は、大きな政府を標榜し、公共事業により雇用を増やし、賃金上昇と消費拡大を循環させていた。しかし現在は、消費者に借金を促し、未来の所得を先に使わせる社会になっている。これが「民営化されたケインズ主義」で、国家ではなく金融市場が借金を通じて需要を支える仕組みだ。クレジットカード、住宅ローン、奨学金、リボ払いなど、現代人は「労働者」から「債務者」になっている。

「搾取」と「収奪」の転位

著者は「収奪」を、特定の民族だけではなく、移民やケア労働、自然環境、植民地、グローバルサウスなど、市場経済の外部にあるものを、安価または無償で利用する構造全体を指して定義している。

そして、社会の変化に従って、搾取と収奪の構造は解消されるのではなく、違った領域に置き換えられるという。いわば、システムはその矛盾を外部へ転嫁しつづけるのだ。これはグローバルノースの移民政策を想起させられる。

日本の移民政策も、安価な労働力として扱われるだけなら、まさに収奪の構造に組み込まれることになる。もちろん、移民だから収奪されるわけではなく、制度設計や労働市場のあり方次第ではあるが。

少子化を構造で捉える

これは映画でも言及されていたことだ。資本主義は労働力の「供給」を前提にしているのに、その供給を支える社会的再生産を自ら弱体化させる。企業は労働力を必要としながら、その労働力を育てる社会的再生産のコストを十分に負担しない。その矛盾が少子化という形で現れているわけだ。

したがって、少子化の進行に対する個別的な対処は、対症療法的なものに過ぎなくなる。少子化は、個人の意思や責任ではなく、構造の問題だからだ。

著者の議論をまとめると以下のようになる。

  1. 資本主義は利潤を追求する。
  2. 教育・医療・介護・住宅など、本来は共同体や国家が支えていたものまで市場化される。
  3. 家庭は子どもを育てるために多額の費用と時間を負担しなければならなくなる。
  4. 一方で企業は労働力を必要とするが、その労働力を再生産する(子どもを育てる)コストは十分に負担しない。
  5. 結果として、人々は子どもを持ちにくくなり、少子化が進む。

これまで、少子化を「価値観の変化」だけで説明する議論に違和感を覚えていたが、本書を読んで、その違和感の理由が言語化されたように感じた。

資本主義を批判するのは簡単だが

あらゆるものを消費の対象に変えてしまう流れに対して、どう「悪あがき」するのか。環境とどのような関係性を築き、何を生み出すのか。

本書は、資本主義批判の本というより、構造を理解したうえで、自分はどう生きるのかという問いを読者に投げ返す本だった。『急に具合が悪くなる』という映画もまた、その問いに対するひとつの応答として思い出される。

失うことと失われないこと ― 五十嵐耕平『SUPER HAPPY FOREVER』(2024年)

2023年 夏

女は宿泊するホテルの部屋に戻り、置き忘れたフィルムカメラを静かに手に取って、鏡に写った自身の姿を撮影する。個人的な記憶のために撮られたこの写真は、5年後、同じ部屋に泊まることになる男の「喪の作業」における重要な手がかりとして登場する。写し撮られた赤いキャップを被った女の顔はフラッシュの光に隠されていて表情はわからない。まるで記憶が薄れていくさまを象徴しているかのようだ。

女は死んだのだ。喪失を抱えながら男はかつて彼女と出会ったホテルに戻ってくる。そして、当時彼女が無くしてしまった赤いキャップを探し、記憶をなぞるようにホテルの周辺をさまよう。ロビー、船の欄干、ハワイアンレストラン。もちろんキャップは見つからない。その姿を見かねた友人は、時間やモノに縛られている、と彼に忠告するが、男には響かない。彼が求めているのは、妻との結びつきを断ち切ることで苦しみから解放され、「永遠に超幸せ」でいることではないからだ。しかし、彼が何を深く求めているのか、友人はもちろん、わたしたちにはすぐにはわからない。物語は終始、憂鬱で、退屈で、煮え切らないムードを保ったまま進む。

怒りと悲しみが入り混じったその夜、男はコンビニの前の路上で嘔吐し、寝転び、友人にタバコを買ってくるように頼む。そのハイライト・メンソールは当時、妻が吸っていたものだ。酔いつぶれてホテルに戻った彼は眠れぬまま朝まで周辺を歩く。何を求め、何をしたいのか、自分でもわかっていないように見える。友人がいうように、彼の振舞いは陰鬱で面倒くさく、わたしたちのなかにもフラストレーションが静かに積もっていく。

過去を包括する現在

そんな彼の旅に、ひとつの転機が訪れる。ひとりになったホテルの廊下で、男は客室清掃員のアンの鼻歌を聴く。ここから物語は、5年前のある一日に遡る。男と女が初めて出会った夏の日だ。これが第1部の終わりであり、第2部の始まりでもある。その時間の転換が、本作『SUPER HAPPY FOREVER』のなかで最も美しいシーンのひとつとなっている。

アンの歌う「Beyond the Sea」に気がついた男は、部屋のドアの隙間にハイライト・メンソールを挟むと、そのまま壁にもたれて歌に聴き入る。鼻歌と彼の寝息が重なりながら、固定されたカメラが、左から右へ水平に少しずつ回転していく。やがて画面が部屋の白い壁に至近距離で寄ったあたりで、鼻歌と寝息は消え、代わりに船の汽笛が遠くから響く。そしてカメラがさらに右に振れると、ドアの開く音が鳴り、左から右へ部屋に入ってくる女の姿が現れる。

わたしたちはここで初めて、第1部で男が追い求めていた面影の実体と出会うことになる。その姿はあまりにもみずみずしく、あまりにも美しい。過去と現在が縫い目なく接続されることによって、まるで彼女が今ここに生きているかのような感覚が生まれる*1。過去を現在から切り離すのではなく、現在のなかに過去を包みこむような時間の感覚。映画は5年前に戻ったが、わたちたちの感覚は現在に留まり続ける。

2018年8月19日

女が死ぬことを、わたしたちはすでに知っている。だからこそ、これから描かれる男女の出会いや親交のすべてが、奇跡のような一瞬の記録としてスクリーンに映し出される。

ロビーでの偶然の出会い。船の欄干ではじめて交わす言葉。レストランで味の好みが一致して笑いあった午後。他人から見れば何気ない風景であっても、当人たちにとってはかけがえのない記憶となる。クラブで彼女からもらったハイライト・メンソール。耳元で聞いた「わたし、めっちゃ物を失くす、いまどこでどうしてるかなあって思っちゃうくらい失くす」という言葉。コンビニの前で聴いた鼻歌。連絡先を聞いた時に彼女が持っていたペン。そして、偶然にも誕生日プレゼントとなった赤いキャップ。

これら一連の出来事を追体験する感覚は、第1部で男がたどっていた「喪の作業」そのものだ。そして、この時、わたしたちはようやく、彼の気持ちを理解する。

彼は失われた妻の痕跡をたどることで自分の気持ちと向き合っていた。「彼女がいなくなった」のではなく、「これからは違う形でともにある」という感覚を自分のなかに見出そうとしていたのだ。過去の場所を巡り、失くした赤いキャップを探すことは、単なる執着ではない。それは、不在者との静かな対話であり、終わることのない共同作業だ。言い換えれば、死別の先にある「ふたりの関係」を再構築し、もう一度「生き直す」ための大切なプロセスだった。

とはいえ、映画は決してその意味を観客に押しつけるような表現をしない。クローズアップで感情を決定づけることもなく、人物の心情は距離をとったショットと演出で静かに表現される。それがかえって、わたしたちの想像力を喚起させる。

2023年 夏 ふたたび

ドアにはさまれたハイライト・メンソールのショットから映画は再び5年後に戻る。

アンはホテルの閉館を機に、祖国ベトナムへ帰ることになっている。さて、赤いキャップはどこにいったか。

失くしたものは、いつまでも記憶に残りつづける。そしてそれは、つねに新しい関係性をはらんでいる。

かつて女が鏡越しに撮った赤いキャップの自撮りは、当時の光り輝くハイライトな感情を記録していた。今そのキャップを被ったアンは桟橋に立ち、カメラに背を向け、海の向こうをじっと眺めている。男が探していた赤いキャップは、今や彼の手から完全に失われてしまった。そして、それは新たな意味を帯びてまもなく海の彼方へ旅立とうとしている。おそらくもう二度と帰ってくることはないだろう。

しかし、それはもはや問題にはならない。大切なのは、生きていくことだ。

そんな人間の営みに無関心な海は、目の前でただ静かに「凪」いている。

 

 

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( 「SUPER HAPPY FOREVER」ビジュアルブックより)

『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』(中平卓馬、2007)

中平卓馬ドキュメンタリー映画を観たのはたしか2007年のことだ。文化的な飢えとそれを満たそうとする欲求に駆り立てられ、興味があろうとなかろうとできるだけ多くの映画を観ようと思っていた中での一本だった。

映画を見終わったあと、タバコ屋で赤いショートホープを買った。ショートホープといってもショートピースのようにフィルターの無い両切り煙草ではない。フィルターが短く紙巻きが太い、当時10本入り120円の煙草だった。直ちに火をつけ紫煙を燻らす。ほのかに蜂蜜の風味がする。赤い弓矢がデザインされたパッケージは、映画で中平が吸っていたものと同じであった。

後日、中平卓馬篠山紀信の共著である『決闘写真論』を図書館で借りて読んだ。座敷に佇む人間の不気味な写真以外、今となっては何も思い出せないが…。そして、ちょうど時期を同じくして、中平卓馬著『なぜ、植物図鑑か』の文庫が新刊として書店に並んだ。これが決定的だった。立ち読みをして、そのレトリックを駆使した滑らかで美しい文体に驚いた。あの映画の人物が書いたとは到底思えない(失礼)。明晰でシャープ。アジるような断定調。カッコいい!

そして今回、約20年ぶりに再読。

それは要するに、イメージを捨て、あるがままの世界に向き合うこと、事物を事物として、また私を私としてこの世界内に正当に位置づけることこそわれわれの、この時代の、表現でなければならない、ということであった。そのためには私による世界の人間化、情緒化をまず排斥してかからねばならないということであった。もはやこれ以上、一般的、抽象的な言説は不必要であろう。

それならば私はなにをすべきなのか、またそれは写真という方法を通じて可能なのかというのが次の、より具体的な問いでなければならないだろう。(p34)

中平のいうように、この本は「認識論(p306)」として読むのが適切なのではないか。仮に写真技法として読むと、思想が表現を狭く縛りつけるようでいて息苦しい。これだと、写真を撮ることが面白くなくなるんじゃないかとも思える。しかし中平はその「認識論」を写真技法として探求していった。時代と寝ることを潔しとせず、自らの思想を表現に落とし込むべく試行錯誤を続けた。この苦行とも思える過程が美しい。いったい何のために。写真とは何か。写真を撮るとはどういうことか。その自問自答の痕跡がこの本には力強く刻まれている。その文章からはサルトルカミュのような実存的な雰囲気さえ感じられる。 新左翼的なイデオロギーはともかく、かれは生き方として革命家だったのだ。

だが日々を生きるということは、つまり日々自らを新たなる自己として表現し、実現し続けてゆくということなのではあるまいか。すくなくとも、表現とは、予め捕えられたなにがしかの観念なり、イメージなりを図解して見せることではない。表現するということ、それは日々みずからを創造するということである。(p116)

ぼくは決定的に自分が生きるということにこだわる。そして自らが生きる生の総体の中に写真をとるという行為を正当に位置づけたいと願う。なぜなら写真をとるということは、ぼくにとって、なによりも自らが生き、かちとってゆく生のそのつどの記録であり、その中で抜きさしならぬ形でぼくに迫ってくるものを「現実」として直視してゆく、そのようなものであるからだ。(p146)

ぼくはファインダーを通して向う側の世界へ絶えず乗り超えてゆく自分を視ていたにすぎないのだ。その乗り超えこそぼくがカメラマンであるというたった一つの理由であった。だからぼくにとってはある価値を表現するとか、いわんや作品として外化するというようなことは、たとえそれがただの言葉であったとしてもとうてい耐えられるものではなかった。幸か不幸かカメラは向う側しか写さない。だからぼくにとってはそれはつねに半端者であった。なぜなら大切なのはこちら側からあちら側へ向かうそのプロセスだけなのであり、残された写真の山などはしょせん残り火の熱さ位しかたたえてはいないのだから。

だが真の表現とはまさしくこのプロセス、こちらからあちら側へ向かう絶えざる自己超出の永久運動をさすのではないか。それならばそれはほとんど生きるということと同義である。

「ぼくが存在にかかわるのは、絶えずそれを乗り超えてゆくという限りにおいてである」と書いたのは、若くして死んだアルジェリア精神分析医、そしてなによりも革命家であったフランツ・ファノンである。(p187)

『カメラになった男』。ジガ・ヴェルトフの映画にそのタイトルをかけたとも思われる、素晴らしいドキュメンタリー映画であった。

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2025年3月弘前にて撮影

『現代アメリカ写真を読む デモクラシーの眺望』(日高優、2009)

デモクラシーとしての写真

本書は、至るところに浸透するがために二重に見えにくいものとなっている〈デモクラシーとしての写真〉の存在様態に眼を凝らし、デモクラシーが社会のなかで生成してくる様態を写真においてとらえようとする試みである。(p11)

そもそも写真家たちは自然とだけ向かい合って生きてきたわけではなく、われわれが自ら作り出した日常の事物と自己との関係や、自己と他者との関係を知覚しようと生きてきたのだ、と、ライアンズは言う。「社会的風景」とは、人々の風景、人間を巡る風景である。ライアンズにとって「風景」とは、人間をそのなかに置くことで生じる諸関係を通じて把握される、われわれの環境を巡る眺めである。だから、出展写真家たちとは、「人々と人々にまつわる事物」の写真家たちなのである。(p128)

世界のなかに自己を見出しかつ失わせ、世界と交わり自己の外へ出、あるいは自己に他性を呼び込む。予測不可能に流動する世界と揺らぎのただなかに生成してくる主体とがそのつど結ぶ関係性の可能態として、無数の「社会的風景」が切り出されてくるだろう。そしてこの可能態としての風景に向けてシャッターを切る営みは、写真家の独占物とはならないだろう。そもそもわれわれの生の経験を問う「社会的風景」の問いは、写真家と写真家ならざる者との境界を本質的に無効にする開けを有していたのであり、しかも写真メディアはそのデモクラティックな原理上、すべての人間を手招きしている。だから、「社会的風景」の写真家とは、新しい関係性に向かっている、潜在的にすべての人のことであるだろう。「強い」主体ではなく、「弱い」主体の時代に、このことは大きな意義を持つに違いない。(p282-283)

「社会的風景」の写真家や彼らを出発点とした写真家たちは、例外的極限状況ではなく、「日常世界のなか」をもうひとつ別の「有利な位置」とし、運動を持続させる方途を採りながらそこに留まり続けた。その時代の固有点に結ばれながらも、日常における生の経験に写真を開き流動する世界とそのなかで揺らぐ主体の界面を観者に生きさせるために、彼らはさまざまな身体の技法(可能態としての世界へ無限に向かう身振り、反復、宙づり、揺動化、消滅への接近・・....)によって、写真を絶えざる運動のなかへ置いたのである。(p292)

日常の風景の「なかに」いる人々が写真を通じて自らを更新し続けるその営為を確認し、主体生成の絶えざるプロセスに〈デモクラシーとしての写真〉を見出すことは、袋小路に陥って明滅する現代のデモクラシーに消滅ではなく可能性の微かな光を見ようとする、ほんの小さな試みである。デモクラシーの感覚、デモクラティックな主体は、常なる関係性の風景の更新をその生命の条件として、風景が切り出されるそのつど、ほんのひととき、風景のなかに生成してくる。公私が融解してともに消失したと見えるいまとなっては、写真がそれらを確固たるものとして再構築することも、それらを首尾よく再神話化しおおせることもないだろう。だが、この混迷を混迷とし傷を傷として生きる方途を探りながら、デモクラシーの潜在的可能性に向けて自己を解体し開放し生成させ消滅させて、この不断の運動をデモクラシーと感覚して生きることにも、チャンスは開かれているはずなのだ。(p301-302)

写真の客観性

見るとは意味以前の行為である。

写真は事実の曇りなき記録であるというテクノロジーの「科学性」や「客観性」への過剰な信奉が、長いあいだ、写真の世界を支配してきた。(中略)アメリカの写真の歴史を振り返るとき、十九世紀半ばの西部開拓期から実に「ザ・ファミリー・オブ・マン」展に至る一九五〇年代半ばまで、透明な媒体、客観の記録という写真のパラダイムが強固に生きられているのである。(p62)

ドキュメンタリー写真とは、現実をありのままに描くことを至上命題とする写真であるーこのような素朴なドキュメンタリー神話がしばしば強固なものとして久しく生きられてきた(一部には今日までも)。写真は確かに現実そのものではないが、「しかし、それは、少なくとも、完全なアナロゴン(類似物)である。そして、常識のレベルで写真を定義するものは、まさにこの完璧な類似性」である。とはいえ、「ドキュメンタリー」とは必ずしも単に現実の類似的記録を指すわけではない。ドキュメンタリーのジャンル形成に一役買ったとされるイギリス人映画監督ジョン・グリアソンがこの言葉を用いたときから、それは一定の傾きをもっていて、社会的な弱者を描き出し、社会改良主義的な救済の色彩を帯びていたことは確認しておく必要がある。(p74)

西村清和が述べるように、そもそも写真は「さまざまなテクスト、多様な物語が語られることのできる断片」であり、一枚の写真とは「物語素の束」である。物語を誘発する要素となる物語素に満ちた「移住労働者の母」は、白と黒のコントラストや造形的に喚起的で印象深い表現を仮構され、三〇年代という時代の文脈において一目で了解される社会的内容ー共示的内容ーへと自然にひそかに収斂し、時代のイコンとなった。「移住労働者の母」はその構造ゆえに写真外部のコンテクストに意味を奪われ、ありえた多様な読みの可能性やノイズを海決されていき、代わりに普遍の物語たる共示的メッセージに覆われ始める。ラングの写真は、人間主観に侵されることなき事実へ肉薄するイメージと見えながら、文化的・社会的な記憶の貯蔵庫からその意味の多くを充当されていた。(p80)

社会的風景

写真史に引き付けて言えば、「社会的風景」展は、現代写真の源流ともいうべきウィリアム・クラインロバート・フランクというふたりの写真家の「パーソナルな視点」を引き受けた写真展として位置づけられてきた。クラインとフランクの写真が鮮烈だったのは、「ドキュメンタリー」のカテゴリーで評価されながらも、それ以前のドキュメンタリーに前提されてきた客観性や透明性が作り出す公論的スタンスの飽和点を彼らの写真が指し示し、自己の感覚や身体痕跡をあらわにした「パーソナル」な写真だったからである。(p118)

つまり、「社会的風景」とは、世界を人間中心に組織された空間とみる見方から人間を含む風景という観点へと眼差しを移行させ、その解釈の力点をずらすことを合意している。(p119)

純粋観察者として写真家は眼球になりきるという法の下に醸成された写真の無媒介性、透明性の感覚がFSAや「ライフ」のごときフォトジャーナリズムの多くの部分の、そして「ザ・ファミリー・オブ・マン」展の楽観を支えてきたものであり、それこそが自らの身体の不透明性を持って登場した「社会的風景」の写真家たちが突き崩したものの正体だった。(p174)

写真家たちは新しい風景に立ち会うために自己を世界に再配置する。「写真に撮ると事物がどう見えるのかを見るために写真を撮る」(ウィノグランド)、つまり、写真に撮るとどのような新しい関係性の風景が見えるのかを見るために写真を撮り、風景に向かうのだ。(p189)

生きられる風景へ

フォーカスの操作は写真家の側から観者の側のものへと移行する。写真を見る経験とは、観者の側の「心的イメージ」を、つまりは「フォーカスを変化させている観者自身の精神」を、見る経験である。だから、写真を辿る観者の眼差しは写真を通して世界に触れ、まどろんでいた自らの記憶を揺り動かしもするだろう。(p249)

「撮影することは重要性を授けることである」スーザン・ソンタグが述べたように、写真家は日常世界の連続性に埋没したものをフレーミングによって分節化して切り取り、「ここには見る価値がある、意味がある」と提示する。(中略)「社会的風景」の写真家たちが風景の「なかに」自己の身体を持って関係性の新しい風景を発見してのち、ロバート・アダムスがその「なか」で生きる者としての眼差しで風景を見つめたとき、すでに傷つきながら人々に生きられる新たなる西部の相貌が立ち現れてきたのである。彼の新しい風景は、自らが行使した暴力にわれわれ人間の眼差しを向けさせる。この風景が、人間自らが加えた力によって変容させた風景であることを疑う余地はもはやなかった。(p266)

だが、われわれはもっと注意深く見なくてはいけない。「撮影することは重要性を授けることである。おそらく美化しえないような被写体はないであろうし、さらにすべての写真に本来備わっている、被写体に価値を付与しようとする傾向を抑える方法はない」と、ソンタグが喚起するように、価値の付与行為として写真は常に対象を美化し、ロマン主義化するベクトルを内包している。ロバート・アダムスの傷ついた風景の写真もまた、例外ではない。『ザ・ニュー・ウェスト』は、それまで不可視とされていた「もう無垢ではない風景」という負の新しい風景の誕生を印づけただけではなく、同時に、人々に新たに生きられる風景として西部を再演する。(p267)

風景の「なか」へ

「社会的風景」という視座は、世界の可能態が開かれるトポスとして写真を生きさせる。「社会的風景」はそれ以後の写真家たちに深いインパクトを与え、それ以前の写真の見方にも遡及的に援用されて新たな写真史的発見もなされている。自己の身体を持って風景の「なかに」登場した写真家たちの主体とは、アプリオリに存在する自己ではなく、写真行為のただなかにパフォーマティヴに生成してくる感覚する自己、流動する世界とともに揺らぐ自己、あるいはトラウマティックに引き裂かれた世界のヴィジョンを生きる自己であり、確固たる主体とはほど遠く、世界との界面ではじめて辛うじて自らの手触りが確かめられる、そのような自己だった。出来事が製造されるメディアの時代、記号消費のシミュラークルと呼ばれるものの時代に、写真家たちは、人間中心的な意味論的重みを払いのけ、写真を見る観者の視線のうちに、辛うじて自らの存在痕跡を現すだろう。(p280-281)

スーザン・ソンタグも言うように、「「写真のデモクラシー」という展示の副題は、訓練を積んだプロの写真に劣らぬアマチュアの写真があることを示唆していた。実際そこにはそのような作品があり、そのことは文化のデモクラシーとは言えないまでも、写真について何かを語っている。写真は主要な芸術のなかでただ一つ、専門的訓練や長年の経験をもつ者が、訓練も経験もない者にたいして絶対的な優位に立つことのない芸術である」。(p288)

主体の生成とともに生成してくるデモクラシーの価値が制度や一義的意味に固着するとき、主体は国家イデオロギー装置として機能し始め、残された写真は権力の新たなイデオロギーにひそかに奉仕する揺るぎない証拠品としていともたやすく利用されていくだろう。パフォーマティヴに生成してくるデモクラシーの感覚とともに掴み取られた写真の映像の意味が一般化され固定されるとき、デモクラシーとしての写真は失墜する。やがては出来事を知らない人間に対して、出来事を「正しく」説明するために、キャプションや説明が付されていくだろう。そこから写真の「新たなイデオロギーのための利用」が開始される。(p292)

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『春宵十話』(岡潔、1963)

数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。(p3)

少なくとも数学についていえば、オリジナルとコピーとは全く異なっている。コピーは紙とインキで作れるが、オリジナルは生命の燃焼によってしか作れない。灼熱した情熱や高いポテンシャル・エナージーがなければどうにもならないのである。(p128)

寺田寅彦

本書でさりげなく紹介されている他の作家の著作に興味を持った。

たとえば寺田寅彦の『藪柑子集』の「団栗」という短編。これを岡潔は、対象への細かい心くばりがあるという意味で「緻密」と評している。

寺田寅彦 どんぐり

(参考。寺田は、観察について、「夏の小半日」という随筆で以下のように述べている。)

俗に明きめくらというものがあります。両の眼は一人前にあいていながら、肝心の視神経が役に立たないために何も見ることができません。またたとい眼あきでも、観察力の乏しい人は何を見ても、ただほんのうわつらを見るというまでで、何一つ確かな知識を得るでもなく、ものごとを味わって見るでもない。これはまず心の明きめくらとでも言わなければならない。よく「自然」は無尽蔵だといいますが、これはあながち品物がたくさんにあるというだけの意味ではない。たとい一本の草、一塊の石でも細かに観察し研究すれば、数限りもない知識の泉になるというのです。またたとえば同じ景色を見るにしても、ただ美しいなと思うだけではじきに飽きてしまうでしょうが、心の眼のよく利く人ならば、いくらでも眼新しいところを見つけ出すから、決して退屈することはないでしょう。それで観察力の弱い人は、いわば一生を退屈して暮らすようなものかもしれません。諸君も今のうちにこの観察力を養っておくことが肝要だろうと思います。それでさしあたり、この夏休みに海岸へでも行かれる人のために、何か観察の材料になりそうなことを少しばかりお話ししましょう。(『科学と科学者のはなし 寺田寅彦エッセイ集』池内了編、p25)

寺田寅彦 夏の小半日

また、光文社文庫の解説によれば、岡は寺田寅彦の「俳諧オーケストラ論」を読み、俳諧を理解するために音楽を鑑賞したという。

寺田寅彦 俳諧の本質的概論

芥川、漱石芭蕉

好きな文学者は、芥川、漱石芭蕉ということだ。いずれも俳句に通じている人物である。

人の世の底知れぬさびしさも自他対立自体から来るらしい。その辺のところを芥川はよく知っている。「秋深き隣は何をする人ぞ」の句をとらえて彼は「茫々たる三百年、この荘重の調べをとらえ得たものは独り芭蕉あるのみ」と評している。この考えをふえんして自分で創作を書いたのが「秋」の一編である。ここには芭蕉ほどの荘重の趣きはないが、その代わりシャボン玉に光の屈折するような五彩のいろどりが出ている。そうして人の世のはかないあわれさが非常にきれいに描かれている。(p59)

芥川龍之介 秋

芥川はまことに一筋に理想を追い求めた人といえる。「東洋の秋」「尾生の信」などを読めば、なるほどとうなずかれるに違いない。(p173)

漱石といえばまた、朝日新聞に入社した当初だったと思うが、次のように獅子吼したことを思い出す。「自分の小説は少なくとも諸君の家庭に悪趣味を持ちこむことだけはしない」(p175)

芭蕉を最初に紹介してくれたのは芥川の「芭蕉雑記」「続芭蕉雑記」で、読んだのは洋行前のことだったが、くわしく調べたのは帰国の後である。(p177)

芥川龍之介 東洋の秋

芥川龍之介 尾生の信

芥川龍之介 芭蕉雑記

芥川龍之介 続芭蕉雑記

音楽のこと

ただ、シューマンにしろフィヒテにしろ、本当に深いと思うものは幾分退屈だということも事実である。(p172)