「最初にうまくいかなかったら、もう一度、それからもう一度、やってみるんだ。それでもダメなら、あきらめろ。馬鹿みたいに無駄なことをつづけても仕方がない。」
(“If at first you don't succeed, try, try again. Then quit. No use being a damn fool about it.” / W. C. Fields)
くたばる自由に 生きのばす自由
(「生きのばし」/ Theピーズ)
遺伝から自由になれるのか
この本を読んで、遺伝について考えていたら、いつの間にか「決定論と自由意志」の問題に行き着いた。
著者の主張のひとつは、私たちの性格や認知能力、メンタルヘルスなどの個人差には、かなり大きな遺伝的影響があるということだ。もちろんそれは「人間の50%が遺伝で決まっている」という意味ではない。遺伝率とは、ある集団の中で見られる「人と人との違い」を、遺伝的な差異がどの程度説明できるかを示す統計的な概念だ。それでも、この考え方は、人間についての見方を大きく変える。
私たちは、自分のスタート地点を選べない
たとえば、好奇心が強い、運動が好き、人と話すのが好き、一人でいるほうが落ち着く、不安を感じやすい、などの特徴には、生まれ持った遺伝的な違いが関係している。だとすると、「自分が好きなもの」や「自分が得意なこと」さえも、完全に自分の意思で選んだものではないことになる。さらに、私たちは遺伝子だけではなく、家庭も、学校も、幼少期の経験も選んでいない。生まれる場所も、身体も、気質も、最初の環境も、自分では決められない。「ガチャ」ではないが、私たちは気づいた時には既にたくさんの条件を与えられている。その意味では、「自分は完全に自分の力で自分をつくった」とはいえない。
では、自由意志は存在しないのか
ここから、「決定論」という問題が出てくる。もし現在の自分が、遺伝や過去の経験や環境によってつくられているのなら、今この瞬間の「自分の選択」も、結局は過去の原因によって決まっているのではないか。
たとえば、今日筋トレをするかどうかを考えているとする。「筋トレをしたい」と思うのも、過去の経験や価値観の結果かもしれない。「健康になりたい」と思うことも、自分がこれまで生きてきたことの結果だ。では、その「健康になりたいと思った自分」は、誰がつくったのか。さらに遡れば、遺伝や環境に行き着く。そう考えると、「自分で選んでいる」という感覚そのものが、少し奇妙に思えてくる。
それでも、私たちは自分を変えられる
しかし、ここで「だから何をしても無意味だ」と考える必要はない。むしろ逆だと思う。
たとえば、自分が「不安になりやすい人間」だとする。だからといって、「自分は不安になりやすい遺伝子を持っている。だから何もできない」と考える必要はない。「自分は不安を感じやすい。だから、小さなことから少しずつ慣れていこう」と、自分に合った方法を選ぶことができる。ここに、自由のひとつのかたちがあると思う。自由とは、自分がどんな人間なのかを理解し、その自分をつかって、これからの自分を少しずつ変えていくこと、でもあるだろう。
遺伝的な木目に沿って生きる
この本で印象に残ったのが、「遺伝的な木目に沿って生きる」という考え方だ。木材は、木目に逆らって無理に加工するより、木目を見ながら形を作ったほうが自然に加工できる。人間も同じなのかもしれない。自分がひとりで集中するほうが力を発揮できるなら、その環境を探せばいい。人と話すことが好きなら、それを活かせばいい。身体を動かすのが好きなら、運動を生活の中心にしてもいい。苦手なことをすべて克服して、別の人間になろうとする必要はない。もちろん、苦手なことに挑戦することも大切だ。ただ、いつでも「自分を変える」ことだけが正解ではない。自分を理解して、自分に合った場所を探す。それもまた、成長の方法なのだと思う。
自分のせいにしすぎなくていい
うまくできないことがあると、私たちはつい、努力が足りないとか、自分は意志が弱いとか、もっと頑張らなければとか考えてしまう。もちろん努力は大切だ。だが、人間には最初から違いがある。その違いを無視して、すべてを「本人の努力」で説明するのは、少し乱暴なのかもしれない。
これは他人に対しても同じだ。誰かを見て「どうしてこの人はこんなこともできないんだろう」と簡単に判断する前に、「この人は、どんな条件の中で生きてきたのだろう」と考えてみる。遺伝も、環境も、経験も、自分で選んだものではない。そう考えると、他人にも少し寛容になれるはずだ。
でも、仕方ない、で終わらせない
ただし、遺伝や環境の影響を認めることは、「だから何もしなくていい」という意味ではない。むしろ、何かをするための手がかりになる。過去の自分がどうしてそうであったのかは、自分だけの責任ではない。でも、これからどんな環境を選ぶか、どんな習慣をつくるか、何を学ぶかについては、自由に選択できる。
結局、私たちは、自分の遺伝子を選んでいない。家庭も選んでいない。幼少期の経験も選んでいない。だから、現在の自分を完全に「努力の結果」と考える必要はない。
だが、今の自分がこれからの自分に影響を与えることはできる。環境を変え、人間関係を変え、勉強をし、身体を鍛え、習慣を変え、自分に合った場所を探す。そうやって、今の自分が未来の自分の原因になっていく。
遺伝を知ることは、諦めることではない
遺伝という言葉には、どこか冷たい響きがある。生まれつき決まっているとか、努力しても変わらないとか、運命とかいう印象を持ちやすい。でも、本当に必要なのは、遺伝を運命として受け入れることではない。自分にはどんな傾向があるのか、何が得意なのか、何が苦手なのか、どんな環境なら力を発揮しやすいのかを知り、その理解をもとに、自分の人生を少しずつ調整していくこと。その意味で、遺伝を知ることは「自分を諦めるため」ではなく、自分をより正確に理解するためなのだと思う。そしてその考え方は、子育てにも当てはめることができるだろう。
遺伝から自由になれるのか、ふたたび
私たちは、自分のスタート地点を選んでいない。だが、自分の「木目」に沿って環境を選び、ときには木目に逆らってでも、どうしても手に入れたいもののために努力することはできる。その両方を、自分で考えて選んでいく。遺伝や環境によってかたちづくられた自分を理解し、その限られた条件のなかから未来をつくっていくこと。それが自由なんだと思う。




















