『おおかみこどもの雨と雪』 サウンドトラックの覚書

  • メインテーマ

−映画本編のすべての時間、はみ出した、溢れ出た色んな想い、ぜんぶ、この一曲に入ってます。声に出して歌ってみて欲しい曲です。耳から入ってくる音も楽しいですが、身体から溢れる音も楽しいです。*1

24. おかあさんの唄ハ長調

A
B

  • Aのバリエーション

−あるとき「音は台詞なんだ」と気が付いたんです。映画に新しいキャラクターを登場させる気持ちで作ると、すんなり音が出てくるようになりました。*2

1.産声ト長調
・映画の冒頭、花畑のシーン。

2.めぐりヘ長調
・花が彼と出会うシーン。

6. 莟変ニ長調
・彼の死後、花が子育てを決意するシーン。

19. 少年と山変ト長調
・花と雨とオオカミが対面するシーン。

20. あめつちひといぬ (映画未使用曲)(変ニ長調


  • Bのバリエーション

−花の感情に添うのではなく、これからお母さんになっていく花を、色んな「お母さん」という存在が見守っているような立ち位置でとらえると、だんだんと何の音を鳴らせばいいのかがわかってきました。*3

3.陽だまりの守唄ハ長調
・花と彼が仲を深めていくシーン。

5. そらつつみニ長調
・花と彼が仲良く生活しているシーン。(セリフはなくこの楽曲だけが流れる)

21. あなたはわたしの美しいうたハ長調
・花が地面に倒れて雨のことを思うシーン。

未収録曲.1(下記参照)


  • スケッチ10

−スケッチ8(筆者注:本アルバムの1曲目に『産声』として収録されている)と同じくらい好きな曲が、花と雨が別れるシーンのために書かれたスケッチ10です。今回のアルバムには、素晴らしいことに映画用の完成曲(『雨上がりの家』)と、その元になったスケッチ10(『虹のたてがみ』)の両方が収録されています。個人的にスケッチ10はジョン・レノンの『イマジン』級の名曲だと思っています。すごく好きです。*4

22. 虹のたてがみ (映画未使用曲)(ヘ長調
23. 雨上がりの家ヘ長調ニ長調
・雨が花を助けるシーン。雨が崖の上で吠えた直後に転調する。



シュウメイギク

  • スケッチ

4.ほしぼしのはらロ長調
・星空の下で彼が花に秘密を打ち明けるシーン。

7. ねねハ長調
・花の子育てシーン。雨と雪の日常。
8. あたらしい朝変ロ長調
・田舎へ引越すシーン。

9. オヨステ・アイナハ長調-ペンタトニックスケール)
・古民家で暮らし始めるシーン。

10. がさぶらたあたヘ長調
・オオカミの生態を紹介するシーン。
11. たねめみロ長調
・地域の人たちと交流するシーン。
12. きときと-四本足の踊りニ長調
・雪の上で哄笑するシーン。

13. ひふみのまじないト長調

・おまじないを教えるシーン。
14. 太陽をもった日ト長調
・学校に通いはじめるシーン。
15. すべての暖かいみち変ロ長調
・雨と雪が成長していくシーン。(ほぼセリフなし)
16. 秘糸(無調?(ホ長調-変ト長調))
・雪が草平に言い寄られるシーン。
17. あなたが編む世界変ロ長調
・草平が雪の家を尋ねるシーン。
18. やわらかいまなざし (映画未使用曲)(変イ長調-ペンタトニックスケール)


  • 未収録

以下はサウンドトラックに未収録。

  1. 畑仕事のシーン。陽だまりの守唄に似ている。ピアノ曲。15秒ほど。
  2. 雪たちが体育館で待機するシーンから、花が雨を探して山を歩くシーンまで。ピアノ曲
  3. 雪が草平に秘密を打ち明けるシーン。ピアノと弦楽器。あなたはわたしの美しいうたの後半、すなわち陽だまりの守唄に似ている。

劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック

劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック

椎名林檎「カーネーション」の分析

先日より始めたポップ・アナリーゼの試みですが、今回は椎名林檎さんの「カーネーション」を取り上げてみたいと思います。昨年末の紅白歌合戦で拝見したときから、なんか変わってるけどいいウタだなァ、と気になっていたのでした。ちなみにポップ・アナリーゼとは「ポピュラーミュージックの技術論や構成テクニックに目を向けて、分析的に鑑賞する*1」営みを指しています。浅学ではありますが、できる範囲で魅力的な楽曲のナゾを解き明かしていきたいと思います。(なお、アナリーゼで使用する知識はほぼ下記の書に負うております。また、和音の根拠は楽器.meさんを参考にさせて頂きました)

憂鬱と官能を教えた学校

憂鬱と官能を教えた学校

◇概要

・表A

ルート=Dのダイアトニック統合表
メジャーDM7Em7G♭m7GM7A7Bm7D♭m7(-5)
ナチュラルマイナーDm7Em7(-5)FM7Gm7Am7BbM7C7
ハーモニックマイナーDmM7Em7(-5)FM7(+5)GmM7A7B♭m7Ddim7
ロディックマイナーDmM7Em7FM7(+5)G7A7Bm7(-5)D♭m7(-5)
・表B
キー=E♭のダイアトニック・コード
メジャーE♭M7Fm7Gm7A♭M7B♭7Cm7Dm7(-5)



◇intro

Bm7 Em7 A7 | DM7 GM7 D♭m7-5 | G♭m7 Bm7 Em7 | A7 DM7 GM7
6-2-5 1-4-7 3-6-2 5-1-4 (T-SD-D T-SD-D T-T-SD D-T-SD)
Em7 | G/A
2-4/5 (SD-SD/D)

弦楽器がわずか6小節のなかを三拍子で刻んでいく印象的なイントロです。1小節目のBm7から4小節目のGM7まで、それぞれのルートが4度上昇(=強進行)しています。ひとたび聴けば耳に残るような強烈な進行感です。この楽曲は、NHK連続テレビ小説カーネーション」の主題歌として書き下ろされたそうです*2。「コシノ三姉妹をファッションデザイナーへと育て上げた母、小篠綾子氏をモデルとしたヒロインの波乱万丈な生涯を描く」という物語のようですが*3、このイントロの和音進行には、なりふり構わず突き進んでいくようなヒロインの力強い人生が象徴されているように思います。二行目も、Em7からG/A、そしてAメロのDM7(9)へと続く強進行(ツー・ファイヴ・ワン)になっており、また、3拍子ずつ和音が伸ばされることでゆったりとした雰囲気を持ち、いよいよドラマの幕開けを感じさせます。

◇Aメロ

DM7(9) G♭m7 GM7(♭5) DM7(9) Bm7(9) E7(9)
1-3-4-1-6-(5)(T-T-SD-T-T-(D))
小さく丸めた躯は今
G/A B♭dim Bm7 GM7(9) Em7
4/5-dim-6-4-2(SD/D(T)-dim-T-SD-SD)
かなしみ隠し震えて
G♭7(♭9) Bm7 GM7(9) A7(9) D
(5)-6-4-5-1(D-T-SD-D-T)
命を表しているのね

ところで、この楽曲を分析するに当たってwebで情報を集めていたところ、以下のような話題を目にしました。
椎名林檎の「カーネーション」は、朝のドラマの主題歌にしては「暗く」「憂鬱な感じ」で「違和感」を感じる*4、というのです。たしかに、爽やかな朝というよりは、夜をイメージしてしまう人がいても不思議ではないと思います(上記にもリンクしているミュージックビデオはまさに「夜」を舞台にしています)。山下柚実氏は、このような意見が出る根拠として、椎名林檎の「歌い方」に注目し、「ボーカルは意図的に声を高くかすれさせたり、言葉の音と音の間を切って、息づかいを残し、独特の不安感やざらつきを出している。それが、「わかりにくい」「そぐわない」「しっくりこない」という批判のもとになっているのでは」と考察しています*5。なるほど、ヴォーカルの音の響きという観点から納得のいく説明がされていると思います。しかしながら、当ブログでは、「憂鬱な感じ」がする根拠を、山下氏の指摘する「歌い方」に加えて、テンション転調の要素にも求めたいと思います。

Aメロでは、さっそくそのテンションコードが使われています。テンションとは、聴く人に解決や安定を期待させるような緊張感を持つ音を指します。この音は、手つかずのコードに付き加わることで雰囲気を変化させ、和音を豊かに響かせるフレグランスのような役割を果たします。なんとなくお洒落で大人っぽい響き、というと分かりやすいのかも知れません。冒頭のDM7(9)を例にとると、D、G♭、A、C、Eの構成音のうち、Eがテンションノートとして(9)で示されています。

テンションコードは、西洋の古典的な音楽理論では「不協和音」と見做されてあまり好まれないようですが、アフリカではむしろ「自然な音」として使われていたようです。歴史的には、アフリカにルーツのある黒人たちが、西洋式に調律された楽器をつかって、自分たちのフィーリングの音楽を奏でようと考えだされたのが、テンションコードだともいえるでしょう。無限に広がる音が12つに整理された調律の世界で、敢えて音をぶつけ合うことで作りだされた濁った響き。そんな「黒人っぽい」音が、ジャズやブルースの生命になっていることは言うまでもありません。

いっぽう、ポップスでは、ヴォーカルがテンションノートを取ることが多いと言われています。この楽曲でもヴォーカルがコードの9thの音でうたっている場面があります。例えば、Aメロでは、Bm7(9)の部分、か「らーだはー」の「だ」の音が9thのD♭になっています。このように、「カーネーション」は曲全体にわたってテンションコードが使われているのですが、言い換えれば、断続的に不協和音が鳴っているとも言えます。不協和音に緊張感をもたらす作用があると考えれば、この曲を聴いた人たちが「暗く」「憂鬱な感じ」がして「違和感」があると感じるのも、それほど不思議なことではないと思われます*6

さて、和音の進行をみてみますと、一行目は弱進行をつづけた後、Amのセカンダリー・ドミナントであるE7(9)で小さな気持ちの高まりをむかえます。弱進行とはいえ、GM7(♭5)の部分ではメロディーに不協和音である減5度のD♭がかかるなどして、緊張感がやや増しています。E7(9)からG/Aへルートが強進行してわずかな解決感が出た後、パッシング・ディミニッシュコードにより緩やかでロマンチックに進行します。不安定な雰囲気は、Bm7のセカンダリー・ドミナントG♭7(♭9)で緊張感へと高まり、つづくGM7(9)→A7(9)で再び小さく盛り上がって、Dで解決します。美しいメロディーが不安定にヨロヨロと進行し、最後にようやく落ち着いてホッとするといった感じでしょうか。あるいは、蛇足なうえに野暮なのですが、ドラマにちなんで、このAメロ全体を人生そのものの象徴として解釈してみたい、という欲求を抑えることができません。たとえば、不安定な進行を個人の宿命として、最後のDの音を安らかな死として。

◇間奏

F | G | D | D | Bm7-5 | C | D | D
3-4-1-1-6-7-1-1 (T-SD-T-T-SDm-SDm-T-T)
F | G | D | D | Bm7-5 | C | D | D/C
3-4-1-1-6-7-1-1/7 (T-SD-T-T-SDm-SDm-T-T/SDm)

Aメロが繰り返されたあと、雰囲気がガラっと変わります。とはいっても、転調しているのではなく、同主調から一時的にコードを借りてくるモーダルインターチェンジが起きています。キーはDですから、同じ主音Dを持つ短調ナチュラルマイナー、ハーモニックマイナー、メロディックマイナーのコードがつかわれることになります(表A参照)。Fはナチュラルマイナー、GとDはメジャーで、Bm7-5はメロディックマイナー、Cはナチュラルマイナーからの引用と考えられ、コードが長調短調を小節ごとに行き来していることがわかります。曲全体の役割としてみれば、調性の長短が曖昧な間奏をはさむことによって、つづくサビで起こる転調の印象を緩やかにしているようにも思えます。

◇サビ

B♭M7 Am7 Gm7 FM7
6-5-4-3(SDm-Dm-SDm-Tm)
かじかむ指ひろげて 風に揺れ雨に晒され
Em7-5 Dm F/C B♭m7 A
2-1-3/7-6-5(SDm-Tm-Tm/SDm-SDm-D)
遥か空へ身を預けて・・生きよう・・

ここでDmに転調します。Dmは短調ですから、言うまでもなく、「暗く」「憂鬱な感じ」がもたらされることになります*7。進行をみると、はじめのB♭M7から最後のAまで、ルート音がひとつずつ降りていく格好になっています。すなわち、ラ−ソ−ファ−ミ−レ−ド−シ−ラと1オクターヴ内をAメロのDM7(9)のドミナントであるAまで下りますが、これが地味でありながらも力強い進行感を生んでいます。このように、短調という暗い雰囲気のなかを、和音がグングン前進していくことにより、悲壮感あふれるサビになっていると思います。サビの後は、キーがDに戻り、ふたたびAメロが繰り返されます。

◇間奏→A'メロ

Cm7 | A♭M7 | Fm7 | G7(♭9) |
6-4-2-(5) (T-SD-SD-D)
Cm7 | A♭M7 | Fm7 B♭7 | E♭ |
6-4-2-5-1(T-SD-SD-D-T)

Cm7 A♭M7 Fm7
6-4-2 (T-SD-SD)
欲しいもの等
G7(♭9) Cm7 A♭M7 B♭7 E♭
(5)-6-4-5-1((D)-T-SD-D-T)
唯一つ、唯一つだけ

Fm7 | B♭7 | E♭ |
2-5-1(SD-D-T)

最後の節では、間奏から半音上のE♭に転調しています。曲の終盤での半音上への転調は、高揚感を出すためによく使われる手法のようです。進行はAメロのdim以降とほぼ同じですが、間奏の終わりと曲の終わりでは、Fm7→B♭7→E♭のツー・ファイヴ・ワンが使われ、よりいっそう安定した終止になっています。

以上、椎名林檎の「カーネーション」を分析してみました。ドラマの主題歌として書き下ろされたこともあり、起伏に富んだ物語的な構造になっているなぁと思いました。筆者のガチャ耳で聴くかぎりでは、近年のポピュラーミュージックのなかでも珍しい部類の楽曲かなと思います。いや、もしかしたら、アナリーゼをしていけば、意外とこういう楽曲も多いことがわかったりするのかも知れません。

ご意見ご感想をお待ちしております。

*1:ポピュラーミュージックのイノベーター 菊地成孔さん(慶應MCC「夕学五十講」楽屋blog/2010年11月27日)

*2:椎名林檎『カーネーション』オフィシャルインタビュー (EMI Music Japan)

*3:主題歌は椎名林檎2年半ぶりの新曲、コシノ3姉妹の母がモデルのNHK朝ドラ(Fashionsnap.com/2011年8月19日)

*4:yahooで、朝ドラ「カーネーション」の主題歌(椎名林檎)に違和感持たれる、と載ってました。(Yahoo知恵袋)

*5:朝ドラ『カーネーション』主題歌に違和感持たれる理由を解説(NEWSポストセブン/2011年11月27日)

*6:Yahoo知恵袋では「母性や優しさを感じる」「暗いとは思わず、落ち着いていていい」と言ったものから、「違和感以上に嫌悪感です」「朝から聴きたくないので、いつも消音にします」という最左翼まで意見が噴出していますが、これを、個々人の「不協和音にたいする感性の表出」として眺めても面白いと思います。

*7:この記事は、長調=明るい、短調=暗いといった西洋近代のドグマを前提にして書かれています。しかしながら、筆者は、長調のなかの暗さや短調のなかの明るさを、実感として否定することができない者であります。

スピッツ「ルナルナ」の分析

今回は『ハチミツ』に収録の「ルナルナ」を取り上げます。スピッツの楽曲には珍しくセブンスコードがつかわれているため、なんとなく爽やかで洒落た雰囲気が出ていますね*1。タイトルのモチーフは、手塚治虫ブラック・ジャック』に登場する白いライオンの名前からだそうです。


  • キー=C
  • ダイアトニック・コード=Cmaj7、Dm7、Em7、Fmaj7、G7、Am7、Bm7-5
  • ノン・ダイアトニック・コード=A7(キーDmのドミナント)、D♭maj7(G7の裏コード)
  • 構成=in-Aメロ×2→サビ→Aメロ→サビ→間奏→サビ-out

Aメロ

Cmaj7     Fmaj7  Em7   A7
忘れられない小さな痛み 孤独の力で泳ぎきり
  Dm7       D♭maj7    Cmaj7
かすみの向こうに すぐに消えそうな白い花

Cmaj7の短いイントロにつづいて、Cmaj7→Fmaj7(T-SD)と強進行します。これがもたらす不安定な印象は、Em7(T')でわずかに解消されたあと、A7へ強進行することにより(T'-D)、ふたたび維持されます。A7はノン・ダイアトニック・コードで、つづくDm7のV7(D)と考えられます(セコンダリー・ドミナント)。

この一行目は、コードが詞の印象を形づくっているという点で重要な部分だと思います。すなわち、「忘れられない小さな痛み」の末尾は「みー」と小さく伸ばされ消えていきますが、ここにFmaj7の不安定さが重なることで、なんとも言えない物哀しさが生まれています。「孤独の力で泳ぎきり」の「りー」に重なるA7や、2番にあたる詞の「羊の夜をビールで洗う」の「うー」、「冷たい壁にもたれてるよ」の「よー」にも同様の効果がみられるといってもいいと思います。草野マサムネさんの書く詞は、難解で意味がわからないとか、現代詩のようだと言われます。その詞をいかに解釈しようとも鑑賞する人の自由ではありますが、詞の意味やイメージは、コードを代表とする「音」によって色づけられていることは無視できない事実でありましょう。

つづくDm7のあとのD♭maj7はCmaj7の半音上の裏コードです。G7の代わりにD♭maj7をつかうことで「すぐに消えそうな」という詞のムードがうまく演出されているように思います。2番では「みだらで甘い」という詞にD♭maj7が当てられますが、裏コードの面目躍如たり、実にエロい感じになっています。以上、ここではEm7→A7→Dm7→D♭maj7→Cmaj7と4回つづけて強進行しています。度数で表せば、3→(5)→(1),2→2♭→1と、ドミナント・モーションが2回起きていることがわかります(T'-D-T,SD-D-T)。象徴的な詞と相まって、車窓から眺める景色がゆっくりと移り変わっていくような、進行感にあふれるケーデンスになっています。

サビ

F   G    C  Am7   F  F/G Am7
二人で絡まって 夢からこぼれても まだ飛べるよ
F   G    C  Am7   F  F/G Cmaj7
新しいときめきを 丸ごと盗むまで ルナルナ

Aメロは4和音(セブンス)でしたが、サビに入ると3和音(トライアド)が使われています。アタマのFこそSDの機能を持っていますが、緊張感があるCmaj7からの流れで聴けば、ここで雰囲気がシマって明るくなった印象を受けます。とすれば、この楽曲は、緊張感を持つ不安定なAメロと、安定したサビのふたつに大きく分けて考えることもできると思います。さて、サビは、F→G→C(SD-D-T)とドミナント・モーションをしたあと弱進行(C→Am7)(T-T')し、そのまま、F→F/G→Am7(SD-DあるいはSD-T')と雰囲気を繋ぎとめるような進行します。Am7は次への展開を予想させますが、二行目も同様に強進行-弱進行-F→F/Gと来て、今度はキーであるCmaj7に落ち着きます。ただ、ここでふたたびセブンスに変わっているために、なんとなく落ち着き切れない感じは残ります。

この曲は、ドラマティックに動くAメロとサビのコントラストが絶妙だと思います。ギターで弾き語ると、とてもキモチいいですね*2

*1:他には「あわ」や「夏が終わる」「Holiday」などでつかわれています

*2:「海とピンク」以来つかわれていなかったガット・ギターで演奏されたという逸話もあります

スピッツ「おっぱい」の分析

『憂鬱と官能を教えた学校』を一通り読んで思ったのは、「あの歌を聴くとどうしてキモチいいんだろう?」というような、長いあいだ抱えていながらも解決する術を持たなかった疑問に、もしかしたらひとつの回答を与えられるのではないか、ということです。

そこで、ここでは試しに私の好きなスピッツの楽曲を分析してみたいと思います。取り上げるのは、インディーズ時代の名曲「おっぱい」です。



作詞作曲をした草野さんは、この曲について、「人前で歌ってもちっともいやらしくなかった」と言っていましたが*1、私はこれを初めて聴いたとき、いやらしさを感じるどころか、なんて哀しい歌なんだとゾッとしたことを覚えています。

さて、全体の構成を見てみると、イントロ-Aメロ-Aメロの変形-サビ-Aメロの変形-サビ-間奏-サビと考えられます。キーはGで、ダイアトニック・コードは、G、Am、Bm、C、D、Em、F#m(♭5)となります。基本的にこの環境のなかで成立している曲だと思います。(コードの根拠は手持ちのソングブック集より拝借致しました)

イントロは、G-Cの繰り返し。トニック(T=安定感を持つ)とサブドミナント(SD=不安定感を持つ)を行きつ戻りつします。後ろでドラムのリムショットがカツカツと鳴らされるなか、安定と不安定のあいだを揺れ動く様子にぐっと引きこまれます。この部分は曲の終わりにもそっくり出てきますが、また後述します。

Aメロ

G   Em  C    G D/F#
やっとひとつわかりあえた
Em   D  C G C
そんな気がしていた
G   Em   C  G
急ぎ過ぎても仕方ないし
  C D   G C G C
ずっと続けたいな

この冒頭は、歌詞と和声進行が見事にマッチした例のひとつだと思います。詞の意味から見ると、「やっとひとつわかりあえた」という達成感をともなった喜びが、すぐに「そんな気がしていた」と柔らかく否定されることで、徒労感や虚しさのようなものが後に残ります。機能としては、一行目は、T-T-SD-Tと弱進行が続いたあと、D/F#(D=緊張感を持つ)→Em(T)のドミナントモーション(強進行)になっています。ここでは緊張から安定へ進行することで、「わかりあえた」安心感が音によって表出されています。ところが、そのまま、あたかも気持ちが盛り下がっていくようにEm→D→Cと二度ずつ下降し、イントロでみられたG-Cに落ち着きます(T-D-SD-T-SD)。つまり、和音の進行も詞と同じようなニュアンスをもっているわけです。この「上げて落とす」あるいは「上がって落ちる」ニュアンスは、スピッツの楽曲を語る上で欠かすことのできない視点だと思っています。喜びのなかの虚しさ、虚しさのなかの喜び。これらアンビバレンスな感情を、そのどちらにも解決しないまま、まるごと唄いあげる才能が、草野マサムネならびにスピッツの魅力であると考えます*2。つづく三、四行目はD-Gのドミナントモーションで安定した終止となります。

Aメロの変形

G   Em  C  G D/F#
痛みのない時間が来て
Em D  C G C
涙をなめあった
G  Em C    G
僕は君の身体じゅうに
  C D   G
泥をぬりたくった
  C D   Em
泥をぬりたくった

Aメロに五行目が追加された形です。C→D→Emと、終止にトニックの代理コードであるEmが使われており、サビに向かってどこか煮え切らない感じが高まっていきます。Emはトニックというより不安定なサブドミナントと言えるかもしれません。「泥をぬりたくった」と二度リフレインされる詞が、それぞれGとEmというわずかに異なる和音によって印象を変えています。同じ詞が繰り返されることにより、満たされない思いがどうにもならないまま形だけ大きくなっていくような、やり場のないもどかしさがより強く表出されています。

サビ

  C      D G
君のおっぱいは世界一
  C      D G
君のおっぱいは世界一
   C
もうこれ以上の
 D    Em  D   C Cadd9
生きる事の喜びなんかいらない
   G      D     G C G C
あしたもここで君と会えたらいいな

不全感は、C→Dへ緊張感をともないながら高まっていき、最後のG(「君のおっぱいは世界い”ち”」)でひとまず満たされます。ここも?-?のドミナントモーションです。

つづく3行目から4行目は、C→D→Emと二度ずつ上り、D→Cと二度下がります。すなわちSD-D-T-D-SDと対称形をとっていますが、Tの代理であるEmはSDとして機能しており、このフレーズの内部では、不全感が盛り上がりつつも解決されずに係留していると考えます。「君のおっぱいは世界一」とうたい上げ、気持ちが満たされたのも束の間、再びもどかしい思いがわき起こってくる。その不安定な揺れ動きのなかで、なかば強引に「もうこれ以上の生きる事の喜びなんかいらない」と歌われているわけです。あらゆる解釈への可能性が開かれているという意味において、ここを楽曲中でもっとも味わい深い部分であると考えます。

そんな不安定感は、5行目のトニックGで解消され、D→Gのドミナントモーションで最も安定した形で終わりを迎えます。「あしたもここで君と会えたらいいな*3」という詞からは、悶々とした葛藤を経たあとにもたらされた小さな希望や安らぎが感じられます。冒頭から展開してきた曲がここにすべて収まるような印象です。ガラっと雰囲気を変える、見事な詞の運びだと思います。

以降、Aメロの変形-サビ-間奏-サビと繰り返されます。アウトロはイントロと同じように、G-Cが繰り返されますが、そこに「oh」というヴォーカルが加わっています。不安定なC=ohから安定したG=ohに解決して曲は終わります。

さて、試しにやってみましたが、いかがでしたでしょうか。

この歌をはじめて聴いたときに感じた「哀しさ」の意味が、うすぼんやりわかったような気がしています。

もうちょっと勉強してみたいと思います。

追記(2012/11/23)

「もうこれ以上の喜びなんかいらない〜♪」でさ、ブルースみたいに、ドミナントからサブドミナントに進行してんだな、つまり、不満が解決されないうえに、そのあとテンションまで加わって緊張感が生まれてる。曲の進行がこうなんで、「もうこれ以上の喜びなんかいらない」と言いながらも、すんげえ憂鬱な感じがするんだな。これがアンビバレンス。だって、ふつう、こんなこと宣言するときって喜び100%みたいな感じでしょ。それをやらないんだな・・・。で、その不安な感じをぐーぅと引き伸ばしたあとで、ようやく、「明日もここで君と会えたらいいな〜♪」で解決する。でも今度は、曲のスッキリした解決感と比べて、詞のほうが弱い。「君と会えたらいいな〜」くらいしか思わない。たとえば、一生オマエを愛すぜ!みたいに力強く宣言してもいいんだけど、やらない。煮え切らなんだ・・・。喜びに偏らないってところかな。とにかく絶妙なんだな・・・。

*1:『花鳥風月』初回版に封入の曲紹介メモ参照

*2:これは、代表曲とも言える「空も飛べるはず」や「チェリー」でも顕著です。前者では「君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる」の後にすかさず「きっと今は自由に空も飛べる"はず"」と歌い、後者では「愛してるの響きだけで強くなれる"気がした"よ」とあくまでも断定を拒みます。たとえ喜びに満たされた時でもどこか冷めた視点で眺めざるを得ないような哀しみが感じられます。

*3:ライヴでは「あしたも君が元気でいたらいいな」と歌われていたこともあります。