坐禅 30分 40分 40分

・正念相続=根気よく続ける

・「この道に到達すれば、本当に自分のことを考えなくても済むようになります。自分のことを考えませんから、百パーセント人さまのことや仕事のこと、あるいは家庭のことを考えることに集中できますから、自分自身が非常に楽になります。これが「菩薩行」です。つまり、「菩薩行」を考えてするのではなくて、いま、しているそのことが、菩薩行に変わるということです」

・「いいですか、悟りのあるなしじゃないんです、悟りなければ問題にならぬにしたって、もと自分という、これっこっきりのものでしょう、もって生まれた如来という、仏という他にな−んもいらんのです。
 つまりそれができないんですよ。必ず悟りあり、禅あり仏教あり、坊主の地位あり、ぜにかねあり、なんだかんだなくっちゃ、生きて行けないって気になるんです。ちらっともそれあったら、収まり切れないんです。いうなら、「わがこと終わった。」という実感です、他どういったってしょうがない、どう説きようもないんです、「終わった人。」をどうしても作りたいんです。でなきゃ自由の分がない、仏教のくびき、あるいは世の中いいわるい判断のとりこになる、だったら面白くないんです、眼横鼻直にして他に瞞ぜられずと、道元禅師の語にあります、そういう人が欲しいんです。
人間の資質に関係するものかどうか、とにかく世の中と自分とを卒業しちまう、それっこっきりです。悟りという自他の垣根が外れるのに、平均三カ月(平均なんてことないんですが)というのは、たいていそんなもんですよ。いらんことしなけりゃまっしぐらです。でもわたしの願いは、原初の行を守るという、ほんとうにそれっこっきりの人間です。かえってわたしを証明してくれる人です、「おまえなんかいらん。」といってくれる弟子です。」