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坐禅 40分
坐って坐ってぶち抜くっきり。正師に会えたのも不思議な縁だ。この身今生においてどせずんば何れの生においてかこの身をどせん。
・「外の風景納得行くも行かぬもないだろ、自分用なし外ばっかりに参じておくれ、じきにだーい大納得。捨てろ捨てろ捨てっちまくえ。」
・「うん難しいこと考えないで楽しむふう、与え任せる楽しさ=無上楽です、結果を思わずに行きましょう、それっきゃないんです。」
・「結果を予測しちゃだめです、なんしろ坐るっきりないんです、とやこう取り扱えば、その分遅くなります。なんしろ坐るっきりない−これを本当に知ること。」
川上老師
・己事究明
・「坐禅というのは、自分で自分を救うことの実践、すなわち、真実の自己に目覚めること以外のなにものでもありません」
・「坐禅をしてどうなるか?ということですけれども、これは「因果に安住する」ということ、原因・結果のそのままに本当に安住できるということです。結果に安住するということは、自分のいまの結果に対して、言いわけがましいことがなくなることです。とかく、原因・結果の法則に対して、自己というものをさしはさんで、その結果に対していろいろと言いわけをしつつ生活をするのが、多くの人の現状です」
・「仏や神が信じられたから、不満足のままに満足、あるいは因果に安住できるようになったというものではありません。こういった信・不信は、これからの生活、禅の修行において、なんの役にも立ちません。信じられたから、ものがある、なにかが見える、聞こえるというものではありません。満足は、ものが信じられた、信じられないにかかわらずあります。人の考えのほかにあるもの、人の介在する余地がまったくないもの、それが「法」というものです」988
原田雪溪老師『The・禅』